高跳びのフォーム 背面跳びの誕生
背面跳のお話
現在の走高跳び界では『背面跳び』が主流です。
高校以上の大会ではほぼすべての選手が背面跳びで跳んでいます。
いまのところ、この背面跳びが理論的に最も効率的だとされているからです。
今ではあたりまえになったこの背面跳びは、1968年までは一般には存在しなかったのです。
という雑学のお話。
昔の走高跳
古くは『はさみ跳び(正面跳び)』という跳び方が一般的でした。
真っ直ぐ助走してきて踏切り、足を大きく振り上げて体をねじってバーを越えるフォーム。
昔はマットがなく砂場に着地していたため、着地は足からになります。
そんなフォームでも2m以上跳んでいたんですから人間ってすごい。しかも土のグランドで。
昔の映像を見ると、芸術的にバーを越えて行きます。背面跳びより見ごたえあるかも。
ベリーロールから背面跳びが誕生
その後、着地のマットが厚くなると体を回すベリーロールが主流になり、オリンピック東京大会ではベリーロールで3人の選手が2m18を跳んでいます。
そしてついにそんな高跳び界に革新がおとずれます。
事の発端は1968年のメキシコオリンピック。東京オリンピックの次の大会です。
高地での開催で空気が薄く抵抗が少ないため、陸上では多くの記録が生まれた大会です。
特に、走幅跳びのボブ・ビーモン(アメリカ)が記録した8m90はいまでもオリンピック記録として残っているほどです。
この大会でアメリカのディック・フォスベリーが自身で発明した背面跳びで当時のオリンピック新記録で優勝したのです。
そのころは『ベリーロール』が主流の跳び方であり、つまりバーに近い方の足で踏み切るのが上位選手のポピュラー。バーから遠い足、あるいは正面で踏み切る『はさみ跳び(正面跳び)』は理論上ベリーロールに劣るフォームのため、トップ選手に採用されることがなくなっていました。
っという感じのことをわかりやすく解説した動画がyoutubeにあります『フォスベリーがメキシコシティ1968で走高跳革命を起こす』。
かなり見ごたえがあっておもしろいのでおすすめ。
ディスカッション
コメント一覧
1961年当時中学生の時、走り高跳びで自分の身長を超える高さをクリアーしたのは全校生の中で
私だけで3年後の東京オリンピック強化選手に選出も不可能では無いとも先生から言われ
ましたが県の大会で3回目の試技の時スパイクの鉄爪が手に刺さりリタイアしました。
現在とは比較になりませんが当時のシューズはスパイク付きの少し重い靴でありました。
その時の傷が今も左手に在り見る度に思い出すが同時にベリーロールで跳んでいた時代から背面飛びが主流の今を思うと隔世の感を否めません。
当時目指すはソトマイヨールでしたが全く及びませんでしたが良い思い出です。